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東京高等裁判所 昭和46年(行コ)44号 判決

控訴人 河合種夫

被控訴人 通商産業大臣 田中角栄

右指定代理人検事 野崎悦宏

〈ほか三名〉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す。被控訴人が昭和四三年五月一日制定した、そろばん日本工業規格JIS、S六〇四八―一九六八のうち、7品質(5)『玉の動きは安定したなめらかさであること。』のみでは無効であることを確認する。訴訟費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張は、控訴人において次のとおり附加陳述したほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(控訴人)

一、工業標準化法一八条一項は、「主務大臣は、工業標準化のため必要があると認めるときは、公聴会を開いて利害関係人の意見をきくことができる。」としており、同条二項は、「調査会又は工業標準に実質的な利害関係を有する者は、工業標準がすべての実質的な利害関係を有する者の意向を反映し、又はその適用に当って同様な条件の下にある者に対して不当に差別を附するものでないかどうかについて、主務大臣に公聴会の開催を請求することができる。」としている。このような規定からみると日本工業規格は、われわれ国民の具体的権利義務に関して直ちに影響を及ぼすというべきである。同法二六条は同法一九条の指定の有無にかかわらず、日本工業規格の尊重義務を定めたもので、工業規格該当品の製造又は加工を行なおうとする真面目で優秀な業者が、工業規格の制定によって利益を受けることのあるのは当然である反面、同法によって不真面目な粗悪品の製造業者までも保護すべきではない。

二、そろばん日本工業規格の制定が私人の権利義務に消長を及ぼすことのあるのは次のような具体的な事実からしても明らかである。すなわち、大阪通商産業局の昭和四五年モデル産地実態調査報告書によれば兵庫県における控訴人の同業者は六〇企業、うち調査回答企業数は三八で、その昭和四四年度一年間における総売上は一〇億一五七万八、〇〇〇円、昭和四三年度においては九億三二五七万円である。昭和四三年度と昭和四四年度を比較するとその伸率は約八パーセントである。しかるに控訴人経営の企業の昭和四一年度の売上額は一四二九万五、〇〇〇円、昭和四二年度においては一五二九万六、〇〇〇円、昭和四三年度においては一五八八万円と漸増していたところ、そろばん日本工業規格制定後の昭和四四年度は一四四九万五、〇〇〇円と業界全般の傾向とは逆に売上額が一〇パーセントも減少した。その主たる原因は一般の人にそろばんの良否の判別がなかなかつき難いため、工業規格等の品質保証による安心感のもたらす影響により品質優秀な控訴人経営の企業の製作にかかるものが他の製品と同一視され、これに蚕食された結果と考えられる、例えば、昭和四二年、同四三年度は控訴人のそろばんの指定斡旋校であった兵庫県立明石商業高校、同県立神戸商業高校、同県立洲本実業高校、青森県立弘前実業高校等が、昭和四三年五月そろばん日本工業規格が制定され、全国商業高等学校協会発行の「計算実務」七号に「そろばんの日本工業規格について」と題する報告が掲載されて以来、控訴人の製造するそろばんの指定斡旋を取消し、他の業者のそろばんを指定斡旋している。このように被控訴人の制定した日本工業規格は控訴人ら零細で優秀な業者を保護育成すべきであったにもかかわらず、かえって、その権利を侵害しているものである。

理由

控訴人がそろばんの製造業者であることは被控訴人の明らかに争わないところであり、被控訴人が昭和四五年五月一日そろばん日本工業規格JIS、S六〇四八―一九六八を制定し、その第7項品質(5)において「玉の動きは安定したなめらかさであること。」と定めたことは当事者間に争いがない。

控訴人は、右のように定められたそろばん日本工業規格には重大かつ明白な瑕疵があるから、右工業規格は無効である旨主張し、かつ、このような無効なそろばん工業標準の制定は多数の粗悪なそろばん製造業者を保護するだけであって、控訴人のような真面目で優秀なそろばん製造業者の利益を侵害するものであると主張する。しかしながら、工業標準の制定は、鉱工業品の種類、型式、形状、寸法、構造、装備、品質等、生産方法、設計方法等、鉱工業品の包装の種類、型式、形状、寸法、構造等、その他について、全国的に統一または単純化した基準を設けることにより、鉱工業品の品質の改善、生産能率の増進その他生産の合理化、取引の単純公正化および使用または消費の合理化を図り、鉱工業品の生産者、販売者、消費者等国民一般の利益の増進に寄与することを目的とするものであって(工業標準化法一条、二条)、右のような各種の基準を設けることにより当該鉱工業品の生産者等の営業上の利益を保護することを目的としたものではない。したがって、工業標準の制定が行政処分として抗告訴訟の対象となりうる場合があるかどうかの点はしばらくおくとしても、控訴人主張のようなそろばん製造技術の線に達する工業標準が制定されず、低位の基準が設けられたからといって、これにより控訴人のそろばん製造技術の優秀性にともなう営業上の利益を侵害することとなるものではない。

控訴人は、そろばん工業規格が周知されたことによって、控訴人製造のそろばんの売上高が減少した旨主張するけれども、工業標準がすべての実質的な利害関係を有する者の意向を無視し、特定の業者のもつ高度の技術水準を内容とするため、他の一般業者の営業の利益が著しく侵害されるような場合はともかく、工業標準化の制定によって営業の自由にともなう競争原理が排除されるわけではないのであるから、控訴人製造のそろばんが日本工業規格の水準を超える優秀品であるとするならば、控訴人は優秀品であることをもって営業上の競争をすべきであって、低位の工業標準が制定されたことと控訴人製造のそろばんの販売高の減少の間に因果関係があるとは到底考えられない。控訴人の主張はひっきょう自己の製造するそろばんについてのみ日本工業規格を取得し、これによって他の業者との営業競争に打ち勝つことを目途とするもので、採用することのできないものである。

以上のとおり、いずれの点からみても本件のそろばん日本工業規格によって控訴人の法律上の利益が侵害されたということはできないから、本件は訴えの利益を欠き不適法といわなければならない。よって、右と結論を同じくする原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用については民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 桑原正憲 判事 大和勇美 判事濱秀和は退官のため署名捺印することができない。裁判長判事 桑原正憲)

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